好奇心の源

 

自分は自他共に認める好奇心が旺盛な人だと思う。

できるかできないか?よりも

やりたいか、やりたくないか?

正直、少しの違和感があったとしても

興味を持つとその中身やそのものがどうなっているのかを

どうしても自分の目で耳で心で体験、体感してみたくなる。

ちょっと大変かもなーと思うことや

失敗するかもとよぎっても結局はいつも足を踏み入れている。

個人行動ならどんな結果でも自己完結なんだけど

それが、「頼まれごと」になると、俄然やる気になって張り切ってしまう。

理由は誰かと何かを作ったりやり遂げたりすることが純粋に好きだから。

最初に「やめときー」と止められても

途中で「それはどうなん?」とアドバイスもらっても

結果「やっぱりそうなったなー」になったとしても

いくつになってもこれを繰り返していて

その度に迷ったり落ち込んだりもして

自分でも懲りない人だなあとつくづく思う。

そして、これは我が子たちにもしっかりと遺伝していて

彼らも止めても自分でやってみないとおさまらないタチの人である。

だから、ある時長男から

「母さんも父さんも自分で決めて失敗することだってあるやんか。

俺の失敗する経験も奪わんといてや!」と言われた時に

愕然としたけど、めっちゃ納得できたのだと思う。

人から聞いたり教えてもらうことだけでは

到底感じることが出来ない感情が実体験の中にはたくさんあると知っている。

アブナイ、アブナイ

もう少しで彼らの経験を根こそぎ奪ってしまうとこだったよ。

答えを知ってるからって、先回りして正解を教えることは

決してその子のためにはならないことを知ってるはずなのに

我が子は可愛いから、つい言いたくなるんだよね。

私自身、両親から

「危ないから」

「女の子だから」

「普通でいいから」といって

たくさんのことを反対されて育ってきた。

歳を重ねて、今ではそれも愛情だったと受け止めることができるようになったけど

若い頃は随分反発もしたし、育てにくい子だったようです笑

それでも、好奇心の火種は幾つになっても消えることはないんだなあと

この歳になっても両親をビックリさせたり心配をかけるたびに思ったりする。

6月に入りたくさんの人たちに会いました。

どこを切り取っても、温かなエネルギーの循環を感じて

必然なことや人との時間がいつでも用意されている環境が

本当にありがたいなあと感じています。

その中で、こんな言葉をもらいました。

「あゆみちゃんが違和感を感じてもやってみる好奇心の正体は

そのこと自体のカラクリが知りたいのかもねー」って。

なんか、これすごくしっくりきたんですよね。

結果ももちろん大切だけど、

その人や事に興味を持ってしまうと、止められないのは

その中に先入観なしで飛び込み、中身に触れて自分で感じてみたいと思っているから。

それだけなのかも!

足したり引いたりせずに、じっくりと話を聞いてくれて

いつでも私以上に私のことを信頼してくれる友たちには本当に感謝しかない。

ありがとう。

限られた時間の中で、やってみたいことは遠慮なく残らずやってみようと思う。

今、そんなとこ♡